2011年5月18日水曜日

サーファーから見た大震災


サーフィンで日々海の恩恵を受けている身としては、どうしても今回の震災をサーファーの視点で捉えてしまいます。僕の周りでも多くのサーファーがショックを受けています。
ある意味、海に裏切られた形になってしまいました。

以前スマトラ沖地震があった時、インドネシアの友人の話では震災の直前、ほとんどのサーファーは海の異変に気が付いていたらしく、海には入っていなかったそうです。
明らかに潮が引いたそうです。その異常さに気が付かなかった旅行者や、分かっていても離れなかった地元の方が、多くの犠牲になってしまいました。

今回の地震でもサーファーの多くは無事だと聞きました。
僕らは常に海の怖さを感じています。
台風の波があった時の海はもちろん、普段から絶対に無理はしません。
自分の力量以上の波には絶対に入りません。
始めたばかりの頃は何度も死ぬような思いをするし、ベテランのサーファーからもキツくそう教えられています。
地震発生後間もなく、テレビではウネリとなった津波が幾波にもなって陸へ向かっているのをヘリから中継していました。サーファーなら誰もが津波の恐ろしさを実感したと思います。
本当にショックでした。あんな映画のような綺麗な形の津波が、とてつもないスケールで街を破壊しに向かっているんです。

なにか自分の大切な人が狂ってしまって、人を襲っているような感覚です。
その人を責めないでくれ!普段は人を笑顔にしてくれるいい奴なんだよ!という気持ちで一杯で、僕は普段からあの津波のスケールが小さいものに親しんでいるし、非常に複雑でした。

今回被災地へ行って、津波の被害が無かった場所では古い平屋でも、見た目には損傷していない家が多くありました。
マグニチュード9の地震でも崩れなかったということ。 全ては津波が破壊したのです。
それでも自然にとっては大したエネルギーではなく、人間にはどうしようも出来ないことです。

でも原発は別。あれは完全に人間が作り出した悲劇です。
今回多くの放射能汚染物質が海へ土へ空へバラまかれました。僕らは政府の対応を責めるけれど、原発って東電が勝手に建てたものじゃないはずだし、その裏には生活をより豊かにしたいという願いがあって、利便性を追求し過ぎた背景がある。
確かに対応はズサン過ぎるけれど、これからは普段の生活も見つめ直さなければいけない。
とはいっても今更車は手放せないし、僕の仕事はパソコンとカメラが中心でその全てが電気を必要とするし、その電気を原子力発電所が作ってくれていた。
これは「人間達の欲が起こした人災だ」と地震は言うのだろうか。

Surf rider foundation japanというサーファーの視点から海を守ろうとするNPO団体があります。
長い間、青森県の六ヶ所村の核燃料再処理工場の稼働を辞めさせようと活動を続けてきました。
彼らは僕ら一人一人が節電することで、原発に依存することを辞め、クリーンエネルギーにシフトしようと言い続けていた。
反対と言っているだけでは何も起こらない、でも何も言わないのは賛成だと受け取られてしまう。
しっかりNOと言うことが大事だと言っていたこと。
それが今になってようやく分かる気がします。

2011年5月3日火曜日

被災地2



今ではガソリンスタンドも復活して、街には活気が戻ってきました。車の渋滞もあります。
被災者の多くがネックとなっていたのはガソリンです。地方はガソリンが無ければ何も出来ません。
営業をしている店は、地震の影響を受けていない内陸まで行かなければいけないし、給水車まで行くにも何をするにも、とにかくガソリンが無いと動けません。

それでも大変な生活が改善されたわけではありません。
僕らは長い時で3~4日ほど滞在しましたが、トイレに行きたくても車で走る限り避難所にしかありませんでした。
水が貴重なので顔は一度も洗えず、歯も磨けず、泥除け作業でヘドロが跳ねても洗えないので、除菌ジェルを持参して使っていました。女の人はちょっとした覚悟が無いと出来ないかもしれません。
被災地で僕らはテントを張って生活していました。夜腹が減っても、缶詰を空けるくらいしか出来ません。
3日目くらいから作業が少し辛くなって、家のベットで寝れるまでもう少しだという気持ちになった時にふと思いました。彼らは地震が発生した日から1ヶ月以上もこの生活を強いられ、もう少しで家に帰れるという期待も無く、しばらくの間はこんな生活が続くわけで、それを考えるとやりきれなくなりました。

「政府は何やってるんだ」と批判し続けるのではなくて、Face to FaceでHand to Handで直接気持ちを、物資を届けることが重要だと思います。
ペットフード、歯ブラシ、ひげ剃り、マンガ、タオル、ウェットティッシュ、トイレットペーパー。
とにかく僕らが普段使っているもの全てです。
必要ないと言われたら持って帰って自分で使えばいいですし、そしてその行動を半年に一度でも1年に一度でもいい。
長い期間の中で直接現地の人々と接しながら助け合えばいいと思います。


もしも僕が被災して、家も車も仕事も全て失った時に、遠い場所から知らない人々が突然やって来て「大丈夫か!?暖かい食べ物持って来たぞ!」って言われたら本当に心強いし、それが続けば生きる支えになるし、前へ進んでいく力になると思います。